東京グリーンの早川でございます。本日は、皆様、ご多忙の中を、当カレドニアン・ゴルフクラブオープン記念式典にご参集いただきまして有難うございます。心から御礼申し上げます。
カレドニアン・ゴルフクラブは、開発計画から八年の歳月を要しましたが、お陰様で予定通り、本日オープンすることができました。これもひとえに、関係の皆様のご助力の賜物と心から感謝しております。
まず、第一に、地権者の皆様の暖かいご協力と、関係官庁、ことに地元、横芝町の佐瀬町長様にはひとかたならぬご尽力をいただきましたことを、皆様にご報告するとともに、ここで改めて感謝の気持ちを表したいと思います。
第二に、私ども東京グリーンが、この事業に専念でき、計画通り実現できたことには、終始、私どもの熱意をご理解下さり経営基盤をしっかりとささえて下さった、伊藤忠商事様、第一勧業銀行様、建設担当の熊谷組様、の大きな信用の力がございました。改めて各々の皆様の厚いご支援に心から感謝申し上げたいと存じます。
顧みますと、私がゴルフ場開発の仕事に携わって20年の歳月が経ちました。その間、常に念願してきたのは、"その時代の最高の品質を追求すること"でありました。
しかし、皆川城カントリー、オーク・ヒルズカントリーと手がけるうちに、様々な反響と私自身の反省の中から、自分が真実先頭に立って最初から最後まで信念を貫き通すことが何より大切なのではないかと考えました。少なからぬ賞賛をいただいた過去の実績と縁を断ち、新たな挑戦に立ち向かうべく、私は東京グリーンを設立いたしました。
日本のゴルフコースの歴史を塗り替えるようなコースづくり、世界の名コースの中に指折り数えられるようなコースづくり、私の目指すのは、ただその一点。そうして造り上げましたのが、昨年オープンした富里ゴルフ倶楽部であり、このカレドニアン・ゴルフクラブであります。
それではカレドニアン・コースがどんなコースであるか。それは今日、皆様ご自身の目で確かめていただきたいと存じます。コース造りのポリシーについてはすでに活字にして皆様にお知らせしてありますので、私から改めて申し上げることはいたしません。
ただ、私としては設計ポリシーはもとより、細部の仕上がりに至るまで、かねがね私とポーレットさんと温めてきた夢の実現は果たすことができた、ということは申しあげることができると思います。ポーレットさんは「カレドニアンの18ホールズは、それぞれが世界の名ホールに比肩できる」といい、その様子を「ひとつとして類型のホールがない戦略性に富んだ18ホールズは、それぞれ生き生きと連繋し、ハーモニーしあって続きます。
そのさまは、あたかもシンフォニーのよう」といっていますが、ポーレットさんにとってもカレドニアンは歴史に残る代表的作品になったと私は思っています。
しかしここに至るまでには、ポーレットさん自身、最後まで現場に行って指導するという姿勢、またその技術とデザインを受けて見事にこなしていただいた熊谷組様とのチームワーク、これは富里以来の名コンビであり、そうした積み重ねがカレドニアンの仕上がりぶりに鮮やかに現れていることを、私から特に申し上げておきたいと存じます。
さて、いよいよ本日をもって、カレドニアン・ゴルフクラブが誕生するわけでありますが、クラブ運営については、幸い伊藤忠商事様からゴルフに造詣の深い米倉会長が理事長に就任され、その先頭に立っていただくことになりました。米倉理事長には、ぜひ会員の声に耳を傾けていただき、会員による会員のための素晴らしいクラブ運営をお願いしたいと思っております。
私ども東京グリーンは、これに全面的に協力し、さらにコースのメインテナンス、サービスの充実に、従業員一同、誠心誠意励んでまいりたいと存じます。
この度、当クラブのキャプテンに選任された伊藤忠商事の室伏社長は「メンバーがプライドをもって人に語り、心底から愛せるクラブがベスト」とおっしゃっておられます。幸い、コースについては、会員の皆様が10回20回と重ねておいでになるたびに魅力が増すような、文字通り生涯楽しめるコースが出来上がったと確信しております。
このうえは、会員の皆様の創意とご協力によって素晴らしきクラブライフを創り「メンバーがプライドをもって人に語り、心底から愛せるクラブ」にわがカレドニアンを育てていきたいと存じます。
本日が新しい伝統の始まる日。今後とも皆様のなお一層のご指導、ご声援を賜りますよう、心からお願い申しあげます。簡単ではございますが、これをもってご挨拶にかえさせていただきます。ありがとうございました。
平成二年十月七日
<1990年 TAM ARTE QUAM MARTE誌(カレドニアン)1より抜粋>
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