はしがき(摂津茂和氏の念い) 摂津 茂和

摂津 茂和

【プロフィール】
明治32年7月生まれ。大正13年慶応義塾大学卒。
作家。ゴルフ史家として第一人者。
ゴルフ書籍のコレクターとしても世界的に著名。
Golf Collector’s Society(米)会員だった。
ゴルフの著作・訳書も多く『ゴルフ千一夜』『日本のゴルフ60年史』『不滅のゴルフ名言集』など多数。日本ゴルフ協会資料委員長としてゴルフ博物館の設立に多大な貢献をした。
東京グリーン(株)早川治良の依頼を受けて著したこの『リンクスの再発見』を遺稿とし、昭和63年に他界した。

はしがき

先般東京グリーンの早川治良さんがわざわざ拙宅までこられて、いろいろコース設計について話がはずんだおり、現在同社が計画中の富里ゴルフ・クラブのコースに思いきってワン・グリーン制を採用されたことを聞き、とたんに私はそれだけで早川さんのコース設計に対する誠実真摯な意気ごみを感じると共に、未見の富里コースもきっとすばらしい設計に違いないと直感した。

 

それは私が昔読んだUSGA初代副会長でコース設計にも造詣がふかく、多くの名コースを建設してアメリカのゴルファーの眼を開いたといわれたチャールズ・マクドナルドの名著 "Scotland's Gift:Golf" (1928)のなかに次のような言葉があったのを、ふっと思い出したからであった。

「ゴルフ・コースの性格は一(いつ)にパッティング・グリーンの構造にかかっている。ゴルフ・コースにおけるグリーンは、いうならば肖像画における顔である。着衣や背景、備品などは単にアクセサリーで、顔のみが真実をつたえ、性格を表現し、良くも悪くも絵の価値を決定する。ゴルフ・コースにおいてもまた然り。グリーン以外のティイング・グラウンド、ハザード、フェアウェー、ラフなどはみなアクセサリーにすぎない。」

周知のように現在の日本のゴルフ・コースの大かたはツー・グリーンで、ワン・グリーンを堅守しているのは暁天の星ほどもない。これには一応高麗芝とベントグラスを交互に使うという風土的制約の理由があるものの、その裏にはツー・グリーンならば稼働面でワン・グリーン以上に多くのビジターを誘致できるという算盤ずくの魂胆がひそんでいる事実も否定できないであろう。

いずれにせよマクドナルドの精神からいえば、一つのホールに二つの顔をつけるのは、それだけ焦点をぼかすうえに、そのホールの最も大切な個性と機能を致命的に破壊することなるのはいうまでもない。同時に世界に類のない二つの顔をもったモンスター的設計から早く脱却して、すべてのゴルファーが公平に実力を発揮できる愉しいコース造りにふみきる絶好の機会でもある。

私が菲才も顧みず、ここに敢てはしがきを書く所以も、早川さんの富里コースにかけた真摯な明断と意気ごみに深く敬服したからである。

昭和五十九年八月

摂 津 茂 和

<『TAM ARTE QUAM MARTE 1』より抜粋 >