中部 銀次郎
晩年の中部銀次郎氏は、富里とカレドニアンにたびたび訪れて、その高い戦略性を愉しんでおられました。
1989、90年と二度にわたってマスターズ・トーナメントのテレビ中継でゲスト解説者として、『オーガスタ・ナショナル』を見たことがあります。
オーガスタと言えば、世界中のゴルフコースの "設計上の教科書" と見なされ、 "世界一美しいコース" と呼ばれているのは私も知っています。どちらと言えば、戦前に造られた日本の古いコース、『廣野』や『東京』で育った私の目からしても、確かにオーガスタは景観の美しいコースでした。
しかし、それはプレーヤーとしてではなく、一局外者、傍観者としての私の感じ方であって、もしも私があのコースに立ってプレーするとしたら、あのフェアウェイの起伏、バンカーの形、樹木の枝一本、青い水面、マウンドの大きさ…全てがハザード(障害物)としか見えず、美意識に目覚めている暇など、爪の先ほども生じないと思ったのです。
私がこう申し上げると、読者の中にはきっとこう考える人がいるはずです。「オーガスタは球聖ボビー・ジョーンズと近代設計学の巨匠、アリスター・マッケンジー博士が共同設計した世界一の名コースなのではなかったのか?」
確かにそのとおりです。見た目に自然が美しく、誰がプレーしても愉しいことを目標にしてオーガスタは設計されたと聞いています。
ほんの一例をあげれば、2番、10番のフェアウェイにある起伏は、越せるロング・ヒッターにはよりボールが転がりやすく、越せないショート・ヒッターにはランをせず止まるように設定されています。
名物パー3の16番グリーンは全体に池に向かって傾斜しており、池寄りにピンが立った場合、ピンの根元にボールを落とすのはミス・ショットになります。グリーン右にあるバンカーとグリーン・エッジの間を狙い、ボールの自重で傾斜を転がることを計算しなければならないほど、アンジュレーションのある速いグリーンなのです。
こういうアクロバチックなショットの連続で4日間のラウンドをこなすには、我々日本人の想像を絶する体力と精神力が必要で、私には人間業とは思えなかったというのが実感でした。
ただし、オーガスタの会員がプレーを愉しむ普段のコースの表情はもっと違うはずです。
聞くところによると、ジョーンズとマッケンジーの設計主眼は "パーやボギーを狙ってプレーするには易しく、バーディを取るには難しい" ことだったとか。だから、ボール探しでプレーヤーを苛立たせるだけのラフをなくしたマッケンジーの考えには私も賛同します。また、ジョーンズの有名な言葉に、「ゴルフには二種類ある。トーナメントのゴルフと愉しむためのゴルフと」。
このまったく異なる二つのゴルフを一つのコースで全うさせようという発想がコース設計の永遠のテーマだと思うのですが、オーガスタでさえ、そのひとつの解答に過ぎないと私には思えたのです。
何故、オーガスタのことを長々と綴ったかと言いますと、この度、縁あって東京グリーンの早川治良社長と面識を頂き、『富里』や『カレドニアン』をプレーした感想を求められた時、私はすぐにオーガスタを連想したからなのです。
特に、カレドニアンにはプレーして愉しく、歯ごたえのある難度が心地良い範囲で、コース設計の永遠のテーマに対する一つの模範的解答があると思えたのです。
早川社長がアメリカ人設計家のマイケル・ポーレット氏と夜を徹してでも話し合ったと聞いて、二人が "日本に於ける世界レベルのコースを目指した" ということが随所に感じられたからです。山武杉の森を背景にしたグリーンと水面に接する渚のようなバンカーを見ると、この極めて欧米的な景観の中に、日本人の伝統的美意識の一つに "白砂青松" というものがあるのだから、人間の審美感には人種の違いはないと思って見たりしました。
ただし、この美観もプレーする時にはハザードとしての別の顔を見せます。 例えば、13番や18番のティ・ショットにはプレーヤー自身の正確なキャリーの飛距離を把握していることを要求されます。その数字によってそれぞれのプレーヤーのターゲットが違ってくるのです。特に、13番のように水面上を通して距離を目測するのは難しい技術の一つです。
18番もワン・ストロークを争うトーナメントであれば、安全な左のフェアウェイへ4番ウッドで打つところでしょうが、愉しむだけのプレーならばドライバーで水と渚を越すルートに挑むのも一興でしょう。
このように一つのホールに多くの攻略ルートがある設計パターンをストラテジック(戦略型)と言うのでしょうが、普段のカレドニアンには大トーナメントでのオーガスタほど過酷でない範囲で、ルート選択の幅があるホールが多いと感じました。
つまり、プレーヤーを必要以上に困らせたり、難度の高いショットを連続して要求していず、リーズナブル(理に適った)で、フェアに思えました。
フェア・プレーの精神はプレーする側の問題だけでなく、コース設計の側にも必要不可欠なものだと考えます。"トーナメントのゴルフ" をもう終えた私ですが、"愉しむためのゴルフ" をしに、何回でもカレドニアンのティに立ちたいと思っています。