中川 一省
昨年の夏、インドネシアのバリ島で、パシフィックプレスチャンピオンシップという大会があった。日米のジャーナリストが10人ずつ集まり、団体戦、個人戦をマッチプレー方式で競い、3日間トータルで勝負を決するというものだった。
大会は3回目、私は第2回目のハワイ大会から2度目の参加だった。期間はパーティや各種セレモニー、勉強会などもあって、約1週間の日程が組まれ、その間アメリカのジャーナリストたちとかなり親しく交際させてもらった。
試合の時は「これはライダーカップと趣を同じくした日米間のライターカップだ」との気持ちが強く、選手たちは真剣そのものでプレーする。それだけに、競技を離れると敵も味方も半ば同志的友情関係で結ばれ、その後、海外のトーナメントで顔を合わせた時などは、まるでしばらく離れていた家族に再会したかのようななつかしさがこみ上げてくる。
ゴルフマガジンのシニアエディターであるマイク・ポーキーと私の関係は、大会期間中からまるで兄弟といってもいいような間柄だった。
彼との会話はとても楽しくそして同じゴルフジャーナリストとして大いに参考になった。
「四大トーナメントのうちマイクはどのトーナメントが好きなの……」と聞くと、彼は即座に「マスターズ」と応えた。私が「USオープンが一番好き」と応えると「日本人はみんなマスターズが一番好きかと思っていた」と不思議そうな顔をした。
確か彼と親しくなれたのは、そんな会話が発端だったように思う。
集中豪雨の中をプレーするトム・ドーク委員長
(カレドニアン№5 グリーン)
マスターズは、オーガスタナショナルGCという美しく洗練された舞台の上で、選ばれたマスターたちが華麗なる演技を披露する、といった特色が前面に出されている。これに対して、全米オープンのほうは、まるでオリンピックで、選ばれた難コースを選手たちがなりふりかまわず技の限りを尽くして攻める、競技性が極めて高い大会である。今の世界のトッププロの傾向を見る限り「技術を磨き、いかにアンダーパーを積み重ねるか」が主流であり、オーガスタナショナルという舞台で華麗なる演技を披露できるプロなどは到底見当たらない。
まして、マスターズの創始者であるロバート・T・ジョーンズ(ボビー・ジョーンズ)の知性、品格、そして強さを兼ね備えた選手などは皆無で、彼に比べれば、世のトッププロはまるでハスラーにしか見えない。
私はマイクに自分の考えを素直に伝えた。マイクは「その通りだと私も考える。でも、本来ゴルフライフはああいったものでなければならない、と教えてくれるのがマスターでありオーガスタナショナルGCだと思う。トッププロの中には、あそこへ行って初めて自分のハスラー的ゴルフを深く反省する者もいると思う」と語った。
話は尽きず、お互いが考えている最高のゴルフライフとは、名門コースの条件等を語り合った。
視察プレー後カレドニアンにてくつろぐ選考委員一行
そして、今年のマスターズの翌週。私とマイクは、全米ベストコース100の中の9位にランクされているパインハーストNo.2で再会した。
パインハーストはノースキャロライナ州にあり、正式名称をパインハースト・リゾート&カントリークラブという。1895年にオープンし、No.2は1903年にドナルド・ロスの設計によって完成した。現在は、No.6まで同じ敷地内に完成している。
静けさの中でゆったりと時が流れ、ホール間をセパレートしている木々の高さ、太さに歴史と土地の落ち着きを感じさせられ、ラウンドしている間中外界をまったく意識せずにプレーに専念できる。もちろん、戦略性も高く、上級者にもアベレージクラスにも楽しさと恐ろしさを平等に分け与えてくれる。
メンバーももちろん質が高く、とりつくろったような気取りや気負いがない。
つまり、日本でよく見かけるような「お金さえあれば」のたぐいはコース内をうろちょろしていないのである。だから「本場アメリカの名門だから……」との勢いでこのコースを訪ねると、そういう人は拍子抜けしてしまうかもしれない。
日本でも、教養が高く、財力があり、社会的文化度もかなりのレベルにある人が一様にそうであるようにキラキラ、ギラギラしたものが一切表にでず、あくまで質素でありながら、中身を向上させるといったニュアンスが漂っている。
富里 №7を訪れ、その景観に感嘆する選考委員一行
このコースが世界のベスト5にランクされないのは、ロケーションの悪さとしかいいようがなかった。ロッキー山脈がコースの後方に聳えているわけでもなく、コースの高台から大西洋が望めるわけでもない。
また、オーガスタナショナルGC(同3位)のようにクリークや池が美観を高めているわけでもない。ただただ広い大地を大きく切りひらいただけのコースなのである。日本でなら、このようなコースは「何の変哲もないコース」とされてしまうかもしれない。だが、外観上はそうであっても、実際にプレーしてみて初めて気づかされる素晴らしさが満ちあふれているコースも多い。
ディボッド跡が完全に修復されている。単に砂で穴を埋めているのではなく、ひどい穴は他から芝を持ってきてグリーン同様ブロックごと新しい芝を埋め込む。ホール間にある下水溝が目立たなく処理されている。プレーヤー間で大きな声を出さない。キャディもいたずらにプレーヤーのショットを誉めたり、聞かれてもいないのにアドバイスしたりしない。
マイク・ポーキーが私をパインバレーではなく、パインハーストへ連れていったのは、その心配りを感じさせるためだったのだろう。
いいコースであるかないかは、大自然が造り出す絶対的条件以外は、そのコースにたずさわる人間たち(プレーヤー、キャディ、グリーンキーパー、経営者)の心配りそして自らへの厳しさ次第だと感じている。
(1993年9月 TAM ARTE QUAM MARTE誌(富里)13より抜粋)
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