ゴルフコース「評価の尺度」 三田村 昌鳳

三田村 昌鳳(作家)

コースの品定めはワインと同じ

「(ゴルフ以外の)ほかのスポーツは絶対これだけの読み物を提供し得ない」というアメリカの有名作家・ジョージ・プリンプトンの言葉ではないが、ゴルフはその話題において、時間を忘れさせ、会話の中にもその人のゴルフ観、人間性、趣向などを知ることができる。だから、いつも寡黙な人でも、ゴルフになると途端に雄弁になる。そして新しき友と知り合い、新しいコースと出逢うことの充実感は、ゴルフがスコアだけで争われる単純なゲームでないことを物語っている。

……4月。マスターズのプレスルームに僕あての手紙が届いていた。その手紙は、かねてから友人と約束していた返事であった。
 『君との約束どおり、すべてのセッティングは終わっている。そこから目的地までの交通手段をいくつか記しておいた。別紙にある通りだから、そのいずれの方法でも構わない、ともかく火曜日の朝、コースで逢おう』

ざっとこんな内容だった。別紙には、オーガスタから目的地まで、車を走らせた場合の所要時間と経路がふた通り、詳しくあり、さらに、飛行機の場合、それも各乗り継ぎ空港ごとのタイムテーブル付きでタイプアウトしてあった。

彼らしい完璧な手際だった。僕は、かなりアバウトな人間で、この約束の手紙をもらうまで、交通手段はもちろん、泊まりのことまで何も考えていなかった。ともかく彼の指示通りに行動するだけだった。
この旅の出発は、ちょっとしたコース談議が始まりだった。昨年の秋、日本と米国のゴルフジャーナリストが10人づつ集まって『日米ゴルフ記者対抗戦』(パシフィックプレス選手権)が行われた。そこで毎日、試合が終わるとアメリカのゴルフジャーナリストたちと、バーやプールサイド、或いは、パーティ会場でゴルフ談議が始まる。その中で、必ず出てくるのがコースの品定めと自慢話である。

それはワインの品評と同じで、単なる知識だけでは済まされない。テイスト、印象度、風格などそれぞれが味わった独自のボキャブラリで風味を語るようなものだった。従って、好き嫌いも様々だ。残念ながら、僕はその会話の中心に加わるには、プレー体験が少なかった。日本ならともかく、アメリカ、欧州と話が広がると、耳学問や、ただ試合会場としてそのコースを観たというだけでは、話についていけないことが多かった。/p>

ゴルフマガジン『100選』選考委員長トム・ドーク氏のティーショット(№5 にて)

要求される自分なりの『評価の尺度』

評価は、当然いくつかの項目から総合して語られる。米国『ゴルフダイジェスト』誌、あるいは米国『ゴルフマガジン』誌などの評点基準がそこでも出てくる。
それは、◎ショット・バリュー、◎デザイン・バランス、◎審美性、◎難易度、◎コンディション、◎メモラビリティ(印象度)、◎コース特性、◎風格、環境、雰囲気、歴史などが、評価基準の対象になる。その基準を持って彼らの話は、縦横無尽に飛び交うのであった。正直いって、羨ましかった。でも訊いているうちに、あることに気がついた。

 ゴルフコースを評価する場合、最も大切なのは、もちろんその人の腕前もあるが、自分なりの『評価の尺度』を持ち合わせていなければならないということだ。  話は横道にそれるけれど、その昔、突然オーディオを新調したくなって探し求めたことがある。いい音で、いい音楽が聴きたい。それだけの欲求だった。僕はそれほどのオーディオ・マニアではないから、かなりの人に訊いてまわった。そういう友人が、最後に発する言葉は、「どういう音を求めているの?」という素朴な質問だった。その素朴な質問に答えられない自分を、最初に知ったのである。

ようやく捜し求めて、念願のオーディオを新調することができた。僕は、いまだにそれがいい音なのか、よく解らない。でも、少なくとも僕の中に、ともかく素直で忠実な音源を再現してくれる(であろう)そのオーディオのお陰で、一つの≪基準≫が、育まれてきた気がするのだ。少なくとも、このオーディオに育てられて、悪い音は理解できるようになった。それ以来、僕は音を楽しむことを知ったような気がする。

コースの品定めも、それと似ていると思った。自分のホームコースとなり、自分のゴルフが育てられたコースの質で『評価の尺度』が大きく変わるものだと思う。有名だから、名門といわれているから、メジャートーナメントの開催コースだから、というだけで判断してもいけない。自分の尺度が、あって語ることができるのだろう。

スタートハウス前で、ゴルフマガジン選考委員一行(後列、中3人)

アメリカ人はベストコース選びが好き

サイプレスポイント、ペブルビーチ、パインバレー、パインハースト、オーガスタ・ナショナル、オークモント……。回ったコースよりも回っていないコースが、ほとんどだった。でも、彼らの会話を注意深く訊いていると、必ず自分の周辺のコースをそのベストコースの中のひとつに選んでいるのが面白い。いってみれば、ホームタウン・ディシジョンのようなものだ。

僕のスケジュールを決めてくれたのは、そのときのメンバーのひとりだった。マイク・パーキィといって米国『ゴルフマガジン』誌の副編集長である。彼は、ノースカロライナ州に住んでいる。従って、彼にとっての『評価の尺度』は、パインハーストやワイルド・デューンズなどである。それが、ニューヨークに近い人間なら、ウィングド・フットなどなどと、尺度のコースが変わる。

僕は、マスターズが終わったあと、彼の尺度となっているパインハーストへと旅立つことになったのである。それも、途中、もうひとりのジャーナリストの推薦コース(サウスカロライナ州)に立ち寄ってからである。

日本では、それほどポピュラーではないが、アメリカでは、さまざまな尺度で『ベストコース』選びが、さかんである。先の『ゴルフダイジェスト』誌と『ゴルフマガジン』誌のそれは有名だが、ほかにも、誰でもプレー可能なという条件つきでの『全米ベスト』があったり、リゾートだけ、あるいは米ツアーの開催コースのベスト、パブリックだけのベストなど、コースの善し悪し、あるいは個性などを求めた本や雑誌の企画がかなりある。

それは、アメリカにとどまらない。『世界のベスト100コース』といったものも、もちろんある。ゴルファーは、そこにノミネートされたコースが、ホームタウンにあるだけで嬉しいのだ。さらに選考されれば、なおさら歓喜する。理由は『評価の尺度』になり得るコースが、すぐ近くにあることだ。そこでプレーすることによって、自分自身の『評価の尺度』を育むことができるからである。

№16でのゴルフダイジェスト特派記者デイブ・キインドレッド氏

ぼくのホームタウン・ディシジョン

残念ながら、日本では、そういう本や雑誌の企画が際立っていない。それにこれまで、あまり世界から注目されなかったのか、アメリカからも選考パネラーが、足繁くやってきたこともない。ようやく来はじめたといっていいくらいである。ちなみに、選考パネラーは、米誌の場合は、240名以上いる。もちろん自分がラウンドしたコースに限って評点を入れることができるのだ。

米誌『ゴルフマガジン』では、『世界のベスト100コース』を選考している。2年に1回改選するのだが、64人の選考委員は、プロゴルファー(セベ、パーマー、ニクラスなどもいる)をはじめ、世界のトップアマなど各界の『評価の尺度』を備えた人たちばかりだ。そのグループが、7月下旬、日本にやって来た。総勢4名ほど。彼らは、梅雨どきのなか、強行軍で北から南まで、日本全国で18コースを回って旅を終えた。あらかじめ、ナショナル・パネラーによってノミネートされたコースだった。

カレドニアンも、そのひとつになっていた。僕は、最終的にカレドニアンが選考されるか否かということよりも、好きなコースが『評価の尺度』としてのお墨付きを貰った気分で嬉しいのだ。彼ら米国ゴルフジャーナリストたちとコース談議をするときに、僕はホームタウン・ディシジョンのひとつとして、カレドニアンを推薦しようと思っている。

№18とハウスを撮影するデイブ・キインドレッド氏

(1993年10月 TAM ARTE QUAM MARTE 3(カレドニアン)より抜粋)

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