日本経済新聞・編集委員 工藤憲雄
日本経済新聞連載コラム「ぐりーん・さろん」でおなじみだった金田武明さんが十月十七日、亡くなったことがわかった。享年七十五歳。一九七〇年から八七年まで週に一回、長期連載されたこの知的なゴルフコラムは、当時の多くのビジネスマンを魅了、話題を提供した。「スポーツ・イラストレーテッド誌アジア代表」という肩書きが懐かしい。
バブルで崩壊した日本の失意の時代の九七年から二年間、このコラムを再開し、ゴルフの復活を鼓舞している。
ジャック・ニクラスやアーノルド・パーマーという当時あこがれの米国のプレーヤーの技や心をこれほど巧みに伝える人はいなかった。米国留学で築いた語学力とアマチュアゴルフで鍛えた腕(霞ヶ関CC、相模CCのクラブチャンピオン)があったればこそ。
1956年のマスターズでは球聖ボビー・ジョーンズのカートに同乗した
ゴルフとともに歩む人生を決定的にしたのが五六年、球聖といわれるボビー・ジョーンズとマスターズの練習日に出会ったことだ。
ジョーンズに記念写真をお願いすると快くゴルフカートに同乗させて「トム・宮本(宮本留吉プロ)は元気かい」と話しかけてくれた。その偉大な包容力に二十五歳の若者はゴルフの奥の深さと人間の寛大さを知る。学生ゴルフの戦後の復興に尽力、日本に世界のゴルフを紹介する「先駆者」としての役目を負ったのも自然の流れだった。
その翌年、中村寅吉ら日本が奇跡の優勝を遂げるカナダカップを解説した。これはゴルフ初の実況中継でもあった。
三年前のちょうど今ごろ、見事な紅葉に包まれた岩手県のメイプルカントリークラブ(金田氏設計)で夫人の博子さんや友人を伴ない楽しく過ごしたのが最後のゴルフとなった。「人に迷惑をかけないこと」。
このゴルフの最小の命題が守られていないことが気掛かりだったと思う。
<『TAM ARTE QUAM MARTE』第45号 P4より抜粋 >