西澤 忠
(ゴルフ・ジャーナリスト)
【プロフィール】
1941年生まれ、1965年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。同年、ゴルフダイジェスト社入社。
同社発行の月刊「ゴルフダイジェスト」誌編集長を経て、1996年1月にゴルフジャーナリストとして独立。
中部銀次郎が 「廣野」 へ日参した頃は甲南大ゴルフ部の選手で、卒業して東京へ社会人として移ってからは「東京」がホーム・コースになった。どちらも古い名門コースだが、晩年になって「力レドニアンGC」の名誉会員になるとせっせと通うのだから面白い。
日本的林間コースとアメリカンタイプといわれるモダンなコースに違和感はないのか?と疑問視する人も多いかと思うが、本人は渚バン力一と池越しのショツトを楽しみ、アンジュレーションの強いグリーンを嬉々として愉しんだものだ。「こういうグリーンでパットすると、いかにもパットはクリェイティブ(創造性)な作業だと分かる」という。
「廣野」 と 「力レドニアン」 にはその設計思想に共通項があると個人的には思っている。 昭和初期の英国人コース設計家、 C・H・ アリソンと、現代の米国人設計家、M・ポーレットの設計思想がリンクス志向というコンセプトで共通しているからである。
1930年(昭和5年)に来日したアリソンは京都の名庭を視察したり、スッポン鍋を食し、日本の風士に英国リンクス・コースの真髄を表現したと言っていい。松・杉・ヒノキのある平野に池や小川を採り入れ、球技としての醍醐味を表現した。 リンクス・コースの起伏を再現し、 勇気ある決断のショツトには忠実に報いる設計レイアウトを施したのである。
その思想はポーレットの設計にも底流としてあり、彼のいう“対角線設計”(ダイアゴナル設計)とはアリソンの師、H・コルトの思想でもあったからである。「私の設計したコースにドッグ・レッグしたホールはない。 狙うべきエリアが斜めに置かれるだけなのだ」 とポーレットは言っている。
ターゲットを斜めに置く・・・ とはリンクスを研究してコルト・アリソンが発見した戦略性の要点で、この二つのコースに明確に見られる設定だ。 狙うポジションが斜めにあると、自分の飛距離と方向をあらかじめ狙い定める必要がある。 これこそ個々のプレーヤーに設計家が要求する戦略性なのだ。
廣野ゴルフ倶楽部
中部銀次郎が「力レドニアン」でのプレーを楽しんだのはこのレイアウトの共通項に親しんだからではないだろうか。 グリーンを狙うショツトで、ピンの位置によっては難易度がスコアで0.5~1.5ほども違う変化を愉しめるからだろう。「池ギリギリに立つ赤い旗に出会うと、ピンが歓迎している!と思い、精一杯のショットをしようと心がけた」と言っていたものだ。
そこにこそ、“Risk&Reward(危険と報酬)”の思想が息づいている。
中部銀次郎が心躍らせて赤い旗を狙った「力レドニアン」でプレーしてみようと思う今日この頃である。
中部氏と早川会長
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