西澤 忠
(ゴルフ・ジャーナリスト)
【プロフィール】
1941年生まれ、1965年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。同年、ゴルフダイジェスト社入社。
同社発行の月刊「ゴルフダイジェスト」誌編集長を経て、1996年1月にゴルフジャーナリストとして独立。
年が変わり、富里GCとカレドニアンGCにとっては創設20周年を今年から迎えることになった。
そこで、東京グリーン・早川治良社長がどのようにして2コースを建ち上げるきっかけになったかを紹介したい。
それには日本のゴルフ史家としての第一人者、摂津茂和氏(明治32年~昭和63年)の存在を抜きには語れない。早川社長が「歴史に残る名コースを創設するにはどんなコンセプトで臨むべきか?」を探索するうちに、摂津氏の意見を伺うことにしたからだ。
北海道産の馬鈴薯を手土産に、世田谷区経堂の摂津宅を訪問した早川社長は、瀟洒な洋風邸宅の二階にある書斎に案内され、欧米のゴルフ関連書籍1,800冊に及ぶ蔵書に驚嘆することになる。これが、慶應義塾大学を出て、作家からゴルフ史家になった摂津氏の“知識の泉か!”と目を見張ったものである。当時の摂津氏は「相模GC」の会員で、庭にショットの練習が出来るネットもあり、執筆の合間に芝草の上でアプローチ・ショットの練習もしたらしい。
「今度、千葉にニュー・コースを造るにあたり、どんなコースにすべきか?」
との問いに、先生は「ゴルフ・コースの原点はスコットランドのリンクス。ぜひ一度、リンクス・コースの巡礼に行くべきだ。海辺のリンクスこそ自然との格闘を強いられるからだ」とのご託宣。
わが意を得た早川社長がスコットランドの名門リンクスを旅するのは1984年(昭和59年)で、全英オープンの舞台になる伝統的な名コースをつぶさに回ったもの。
R&A(ロイヤル・エンシェント)のあるセントアンドリュースGCオールド・コースをはじめ、ロイヤル・リザム、ガレーンからセント・ジョージスのあるイングランドまでその数は10コース以上に及んだが、なんといっても最大の収穫はロイヤル・トルーンGCで出会ったクラブ・モットーの日本での使用許可を名誉支配人から快諾されたことだった。
現在の会員諸氏ならご存知の”Tam Arte Quam Marte”(力と同様に技も)の標語である。
早川社長に当時の思い出を訊いた。
ロイヤル・トルーンの理事長室に ”TAM ARTE QUAM MARTE”の額が飾ってあった。
古代ローマ軍の戦略用語で ”武力に等しく計略も”と説明を受けた。
富里GCのモットーとしても使用したいとセクレタリーに申し出て快諾してもらった。
― コースを造る以前から、クラブ・モットーを決める例は珍しい?
早川 戦前に造られた名門クラブを別にすれば、コース造成ブームの時期にはしっかりしたコンセプトで造られるコースは少なかった。
だから、英国のゴルフ精神に則ったリンクス魂の籠ったコースとクラブ運営を目指したのです。リンクスをプレーした結果、ゴルフとは自然と人間との闘いであることが身に沁みて分かりました。その精神がトルーンGCのモットーに集約されると思ったのです。
力だけではなく、人間の知力も駆使してこそゴルフだ、と。
― そこで、リンクス魂を持つコースをJ・M・ポーレットに設計依頼した?
早川 摂津さんの弟子筋にあたる金田武明氏の紹介で、ポーレット氏に会い、彼の設計哲学がリンクスを基点にしたものであると判断したからです。彼は米国人ですが、米国の設計家たちは英国を研究して設計する伝統があるのです。
― カレドニアンの設計手法に“対角線デザイン”という考え方があるのも発想は英国式?
早川 目標を斜めに設定するという“対角線デザイン”はノースベリックGCの15番ホール“レダン”に由来するもので、ポーレットはその思想を拡大した。この戦略型設計の基本を研究したのはオーガスタナショナルGCを造ったA・マッケンジー博士やB・ジョーンズなのです。ポーレットはその流れを汲んで、カレドニアンを設計しました。
― 摂津氏に会わなければ、今のカレドニアンはない?
早川 まさに摂津先生はカレドニアン、富里の恩人です。先生は私たちのために“リンクスの再発見”というエッセイをお書き下さり、誰にでも分かるように設計の歴史を教えてくれたのです。
摂津茂和氏の薦めでスコットランドのリンクスを回り、その魂のこもったコース造りを日本に実現させた。
摂津茂和(本名・近藤高男)は昭和63年8月26日にこの世を去ったので、残念ながらカレドニアンGCをプレーしていない。「日本のゴルフ60年史」「偉大なるゴルフ」など多くの著作を残し、廣野GCに建設された日本ゴルフ博物館の創設に尽力、89年の生涯を閉じた。
“なにごとも人と人の邂逅から始まる”という歴史の教えに従えば、カレドニアンと富里が今日あるのは、早川社長と摂津氏の邂逅からの道程があったからである。この次の機会にティに立ったならば、摂津先生の、あの柔和な笑顔を思い浮かべながらプレーしてみようと思う。
「君は、もっとゴルフの歴史を勉強しなさい!」とお叱りを受けた思い出と共に…。