西澤 忠
(ゴルフ・ジャーナリスト)
【プロフィール】
1941年生まれ、1965年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。同年、ゴルフダイジェスト社入社。
同社発行の月刊「ゴルフダイジェスト」誌編集長を経て、1996年1月にゴルフジャーナリストとして独立。
不世出のアマチュア・ゴルファー、故・中部銀次郎には二人の子供がいる。長男・隆君は親の血筋を引いたのか、アマチュア・ゴルファーとして活躍している。すでに社会人の彼は、母親の克子夫人の実家である尾道造船(株)の東京支店長として、立派にサラリー・マン生活を営んでいる。昭和44年生まれの今年で34歳。高校までは水泳部、大学に入ってからゴルフ部で腕を磨き、社会人になっても休日のゴルフを楽しみにする普通のサンデー・ゴルファーだが、日本アマ選手権を目指して、関東月例にも参加しているアスリート系プレーヤーとして頑張っている。
父・中部銀次郎を知る者としてジュニアの存在は気になるもので、これまでにも何回かゴルフを一緒する機会があった。驚いたことに、風貌も体付きも若い頃の父親にそっくりで、その上にアドレスに入る姿やスウィングが瓜ふたつだった。
ひょっとして、父・銀次郎に間違われたことは?
「実は、ゴルフ場でプレー中、知らない叔父さんゴルファーに声を掛けられました。“キミは知らんだろうが、昔の名プレーヤーの姿によく似たフォームだ。頑張って欲しい”と。私のほうから、“その名プレーヤーは私の父です”とは言えないので、“ありがとうございます!”とだけ言いましたけど……」
それほど似ているのなら、ゴルフの指導も受けたのだろうか?
「いえ、一緒にプレーしたのは14~15回と数えるほどで、めったに教えてくれませんでした。私が父の前で素振りをして、どう? と訊いても、変だ、と言うだけ。まるで禅問答しているようでした。
私が最もショックだったのは、『東京GC』で一緒にプレーした時です。5番のパー5ホールで、ツー・オンした私に“もう一度同じところから打て”と言う。二度やってみても乗らない。すると“三回に一回しか成功しない攻め方は間違っている”と叱るのです」
中部銀次郎といえば、折り目正しい礼儀作法をわきまえたプレー・マナーで、我々を清々しい気分にしてくれたもの。同伴プレーヤーになにか質問されれば、懇切丁寧にアドバイスするのが常だった。しかし、それが我が子の場合は違ったのだろうか?
中部銀次郎といえば、折り目正しい礼儀作法をわきまえたプレー・マナーで、我々を清々しい気分にしてくれたもの。同伴プレーヤーになにか質問されれば、懇切丁寧にアドバイスするのが常だった。
しかし、それが我が子の場合は違ったのだろうか?
「ある日、『カレドニアン』でプレーした後、精算してみると、私の持ち合わせが少なかったので、帰りの高速代が足りなくなりました。当然なこととして、父が払ってくれるものと思っていると“高速に乗らずに帰れ”と言う。冷たいなぁ、と思いました。父にしてみれば、ゴルフ前日までの準備がなってないという訓戒の意味だったのでしょうが」
アマチュアの選手時代、中部は試合の一週間前から体調を整え、初日のスタート時間に合わせて生活したという。朝8時のスタートなら、毎朝その時間までにすべての準備が終わっているように生活したというのだ。『カレドニアン』でプレーするなら、コース到着の時間割りから、財布に入れるお金の計算までもしっかり、“自己管理して来い”という思いだったに違いない。
最近、ちょっと面白い本を読んだ。タイトルは『禅とゴルフ』(ベースボール・マガジン社刊、1800円)。心理学者で米国PGAツアーのインストラクター(2003年の賞金王、ビジェイ・シンを教える)を務めるジョゼフ・ペアレントの著で、友人の塩谷紘氏が翻訳している。
その中に、ひとつのショットを行うにあたっての心理的軌跡を解説した一文がある。
「ひとつのショットを完璧にこなすには、“PAR式戦略(パー・アプローチ)”が重要である」と言う。
PとはPreparation(準備)、AはAction(行動)、Response to results(結果への対応)のこと。この3過程が正しく行われて、はじめてナイス・ショットなのだと言うわけ。一日のゴルフをまともにプレーするにも、準備・行動・結果対応が大切なのだろう。
父・中部銀次郎が隆君に教えたかったのは、こういうことだったのではないか? と思うのである。
中部銀次郎さんのアドバイスは懇切丁寧だった(故・中部銀次郎氏と早川社長)
(2004年6月 TAM ARTE QUAM MARTE 40より抜粋)
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