雲仙普賢岳被災者救済・プロアマチャリティゴルフ大会 中川 一省

感動を覚えた雲仙普賢岳被災者救済・プロアマチャリティゴルフ大会
-喜び、感謝、誇り、そして愛-

中川 一省

一番近い悲劇に眼を向ける

昨秋(1992年)、プロゴルフ選手会が主催し、雲仙普賢岳被災者救援・プロアマチャリティゴルフ大会がカレドニアン・ゴルフクラブで開催された。
 選手会が組織されて初の大イベントだっただけに、倉本昌弘選手会会長以下、日頃自らのプレーにだけ専念している選手たちもやや緊張した面持ちだったが、結果は大成功に終わり、チャリティ基金も約3000万円集金することができた。

「たぶん、チャリティの目的が明確になっていたことが、選手や芸能、文化人のみなさんの強い同意を得ることができたと思います」
大会を終えて、主催者代表である倉本が初めに口にした言葉だった。

これまでの日本のチャリティ事業は、いまひとつ目的がはっきりしていないものがほとんどだった。アフリカ難民救済、世界緑化運動……等々、遠い海の彼方の人びとを救うためのものがあまりにも多く、それはそれで大いに結構なことではあったが、いまひとつピンとこない。そして集まったお金や物品がどういう形で遠い国の人たちに渡ったのかが不明瞭なままだった。

「集める時ばかり大騒ぎして、結果がどうなったのかが、お金を出した方に伝わっていない」「億というお金が集まっていながら『救急車一台届けました』じゃ、首をかしげてしまいたくなるね」  全世界的規模のチャリティ基金に対して、こういった素朴な疑問を持つのは、何も選手会のメンバーに限られたことではない。

彼等の発想が絶大な支援を生むに至ったのは「一番近いところで起きている悲劇」に目を向けたことと「まずは自分たちでできる範囲のことをやろう」としたからではなかろうか。
「僕等はプロゴルファーですからね、きっと他の事をやろうとしても、多くの人の手をわずらわせるだけでうまくできるかどうかは、やってみなくてはわからないでしょう。はっきり言ってしまうと、僕等はプロゴルファーでしかないのですから、そこから出発するしかないのです」

湯原信光のこの考え方は、プレーした選手たちひとりひとりに徹底されていた

チャリティ基金を雲仙市に手渡す杉原雄輝大会委員長

大会を支えたボランティア

当日は、天気こそ晴天であったものの冷たい風が強く吹き、プレーヤー以外のスタート係やフォアキャディを担当した者はかなり体力を消耗したように思う。一番風が強いホールに立っていた楠本研、町野治にいたっては、顔画を紫色に染めてしまうほどだった。
「大丈夫ですか」とこちらから声をかけると、「平気ですよ、体力だけが自慢ですから」などと冗談で返してくる。

目的が明確になっているからこその頑張りなんだな、と感じさせられた。  アメリカのチャリティ事業は、ゴルフ大会に限らず、チャリティ対象が明確になっている。例えば、カリフォルニアで開催された場合「センチネラホスピタル重度障害児童機能回復設備拡充基金」などと銘打たれて開催される。参加者たちは基金目的がより具体的になればなるほど、目的意識をしっかり持ってイベントに参加できる。

そういった意味では、今大会の目的ほどはっきりしたものはなかった。
 毎日のように報道される被災者たちの姿。学校の体育館や仮設プレハブで何世帯もの家族が共同生活を営んでいる。プライバシーが完全に確立された現代社会において、物がないばかりか家族だけの会話すらできない状況とはどんなものか。
自殺者の例を出すまでもなく、暗く苦しい日々が一年以上も続いている。参加者、大会関係者にはこれほどわかりやすい対象は他になかったろう。

チャリティ・イベントにはボランティアが付きものだが、今大会はそのボランティア部門もこれ以上ないほど充実していた。
大会会場となったカレドニアン・ゴルフクラブは、歴史こそないが、コースの戦略性、美観、設備等どれをとっても超一流の域にあり、新設ゴルフ場の中では群を抜く存在であることはいまさら説明するまでもない。その場所を同クラブの早川治良社長は無償で提供した。

「いまどき土曜日にゴルフ場を無償で貸してくれるところなんてどこにもありませんよ。大変ありがたいことです。だからこそ余計成功させたかった」倉本ならずとも、早川社長のこの英断は多くの人に感動を与えたことだろう。トッププロたちが自ら動けば、かなり大きなムーブメントとなる。それがこの大会で実証された。

青木功プロのバンカーショット

意識の低いギャラリーに問題点

すべてが完璧なまでに進行されていったこのチャリティ・イベントだったが、ただひとつ個人的に残念なことがあった。それは、参加者のひとりとなるべきギャラリーに、いまひとつ目的意識が浸透しきれていなかったことだ。

トーナメント終了後、練習場横でチャリティ・オークションが開かれた。小野ヤスシ、ジャンボ尾崎が絶妙なやりとりでオークションを進行していったのだが、著名人から提供された品物がまるでバーゲン品のような低価格で競り落とされていった。

私はアメリカで、あるチャリティ・オークション会場へ行ったことがあった。その時ももちろん、今回と同じように慈善基金を集めるのがオークションの目的だった。舞台にジャック・ニクラスが上がり、サンドウェッジを1本観客に見せた。

「このウェッジは私がついこの前まで試合で使っていたものです。メーカー価格は確か100ドルくらいだったと思います。でも、溝がかなり削れていますから、うまくスピンがかかるかどうか保証できません」
ニクラスがこう語った瞬間、会場から「500ドル!」の声がかかった。そして最終的には800ドルでそのサンドウェッジは買い取られた。1本100ドルのサンドウェッジである。ニクラスは、買い主と握手し、その日使ったグローブにサインをしボールも付けて渡した。

買主にマイクが向けられた。
「このお金が難病患者を救うことに少しでも役に立てば、私の喜びはジャックのクラブを手にできた喜びと合わせてニ倍になる」
 会場にいたメンバー全員が立ち上がり、大きな拍手を送った。拍手はいつまでも鳴り止まなかった。

オークション会場での、小野ヤスシ、倉本昌弘、尾崎将司

これからのチャリティへのステップ

私は昨年、ジャマイカへ取材に行った時、アメリカのシニアコラムニスト、ディック・テイラーに「アメリカ人のチャリティ事業そしてボランティア事業の素晴らしさにいつも感動させられる」と述べた。その時の彼の言葉にいたく感動させられたので、ここに紹介したい。

「別にすべてのアメリカ人がチャリティやボランティアが上手ということではない。ただ、目的を理解し、自主的にその事業に参加した人たちは、多くのひとびとに役立つことを喜びとしているし、自分がその役目を果たせることに感謝している。そしてまたその自分に誇りを感じている。自分を愛することがすなわち人を愛することだと分かっている人たちは、思い切りチャリティやボランティアを楽しむことができる人たちなんだ」

喜び、感謝、誇り、そして愛。
はにかみ屋の多い日本人にはなかなか口にすることができない言葉である。だが、これから先の時代、もし本当に相互に助け合いをしたいと考えるならば、自らすすんで使わなければならない言葉なのではないだろうか。

(文中敬称略)

(1993年4月 TAM ARTE QUAM MARTE誌(カレドニアン)2より抜粋)

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